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March 28, 2005

『時の流れ』を思う -4-

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(4)なぜ、時間はながれるのか
 赤ん坊 ⇒ 幼児 ⇒ 少年 ⇒ 青年 ⇒ 成人 ⇒ 高齢者 と云うように、私達は幼から老への一方向に向かってライフ・ステージを駆け上がっていく。このように「過去→現在→未来」という一方向に決まっていて変えられない流れを『時間の矢』という。この矢は、SF映画や夢物語でない限り、老から幼へと流れをさかのぼることは出来ない。
 この世の中には多くの現象があるが、それらは可逆現象と非可逆現象に分けられる。ある現象が起こって、その逆の現象が起こって元の状態に戻ることを可逆現象といい、決して元に戻らない現象を非可逆現象という。
 もしも、この宇宙における現象が全て可逆現象だったら、私達は過去と未来の区別がつくだろうか?
過去と未来の状態に違いがなければならない。いま働き盛りの成人も、かっては赤ん坊であったし、やがて
老人になってゆくのである。
 赤ん坊、成人、老人と云った違いがある、このことを認識することによって時間の流れを感じるのではなかろうか。このように過去と未来の区別が存在して、私たちは『時のながれ』を感じることが出来る。

 ボールを床に転がす、速度はだんだん遅くなって、やがてはとまる。ボールの持っていた運動エネルギーが摩擦熱に変わって停止したのである、このように熱の移動を伴なう現象は、非可逆現象であり元に戻らない。
 テレビ放送局から電波が各家庭に届く、このように電波も光も一定方向に広がって行く。
 生物も社会も進化する、例えば社会は狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会というように未来に向け
よりシステムとして複雑な方向に変化してゆく。これらも、また非可逆現象であり元に戻らない。だからこそ時の流れを感じ、歴史を思うのであろう。そこには『時間の矢』が存在しているのである。

 「過去→現在→未来」という『時間の矢』は、当たり前のようにあるものだと思っているが、それは全くの誤解だと科学者は指摘する。時間が流れるというのは実に不思議なことなのだと。

 物質は、無数の原子や分子から出来ている。これら原子や分子の運動を見て、過去と未来を区別することが出来るのであろうか。
 2つの原子が衝突するする場合、その運動をいくら注意深く観察しても過去と未来の区別がつかないことが知られている。すなわち原子や分子の世界では『時間の矢』が存在しないのである。
 しかし、膨大な数の原子、分子の集まった物質(例えば人間)の運動や活動では、明らかに過去と未来の区別がある。その物質を構成する原子、分子には時間の矢が流れない。
 では、どこで時間の矢が現れるのであろうか?

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March 07, 2005

『時の流れ』を思う -3-

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(3)劫(こう)と刹那(せつな) 
縁あって20歳過ぎ頃から禅に興味をもち、摂津高槻の少林寺に坐禅をしにいったこともあった。そのようなこともあって、たまには経典やその解説書を見ることもあった。その中に興味ある時間を測る単位があった、それは古代のインド人が考えた時間の単位 — 劫と刹那 — であった。
 劫というのは、囲碁用語にもある。取ったり取られたりが永遠に続いてしまう形である、そのようなことを繰り返すと何時まで経っても未来永劫に勝負がつかなくなるので、一度別の所に打ってからしか取れないような囲碁規約がつくられている。

 では古代のインド人が考えた『劫』という単位は、時間のどのような長さなのでしょうか?
岩石で出来たヒマラヤのような大きな山がある、そこへ100年に1回の割合で天から天女が舞い降りてくる、その都度天女が着ている絹の羽衣の裾が岩山に当たる、そのためほんの極く僅かであるが岩が削りとられてしまう。このようなことを限りなく繰り返し、その岩山がすべて削り取られてしまう。この間の時間が、劫というものの長さである。
 絹の衣で岩が削り取られるのか? かりに削り取られるとしても100年に1回である。そのことで岩山が削り取られ無くなってしまうまでの時間というのは想像を絶するものがある。
 古代インドのバラモン教では、宇宙は創造神である梵天によって作られたとされている。その梵天の一昼、つまり梵天が過ごす1日の半分の長さを劫と云っていた。そして、これを人間の年に換算すると43億2千万年に相当する。
 一方、刹那とは極めて短い時間、瞬間で、最も短い時間の単位である。
指を1回パッチンと弾く(1弾指する)あいだに65刹那あるという説や、75分の1秒であると云う説などがある。

 私たち人類は、時間の単位を昔から自然の中にある周期運動によって決めていた。例えば地球が自転して1周する時間を1日、地球が太陽の周りを1周する時間を1年としている。
 私達が日常使う時間の最小の単位である秒は、どのようにして決めていたのであろうか?
近世までは、正午(太陽の南中する時刻)から翌日の正午まで(1日)の8万6400分の1を1秒と定義していた。このように太陽の位置観測で決めた1秒を『天文秒』と云う。(注、8万6400秒=24時間×60分/時間×60秒/分)。
 この天文秒は、天体の運動によって決まるので誤差が無いように思われてきたが、残念ながらそうではなかった。それは24時間×60分/時間×60秒/分のうちの24時間が、必ずしも一定でないということが分かって来たからである。月や太陽の重力で潮の満ち引きが起きるが海水の運動と固体としての地球の動きにずれ(摩擦)が生じて、地球の自転にブレーキがかかり段々遅くなりつつあるということらしい。
 地球の自転速度は5億年前は21時間、現在は24時間、そして10億年後は26時間になるとのことである。

 ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見してから振り子やばねを利用した機械式時計が作られ時間を測っていたが、機械式であるゆえに精度に限界があった、1927年カナダのマリソンが水晶時計を発明し、
これによって計時の精度が一段と向上した。それでも1年間に0.1秒程度の誤差が生じている。
 現在では、より精度の高い原子時計が作られている。これはセシウム原子の基底軌道にある電子が、スピンの向きを変えた時に出る電磁波が91億9263万1770回振動する時間を1秒としている。これを『原子秒』という。なお、この原子時計でも300年に1秒程度の誤差が出るといわれている。          (つづく)

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