『時の流れ』を思う -4-
(4)なぜ、時間はながれるのか
赤ん坊 ⇒ 幼児 ⇒ 少年 ⇒ 青年 ⇒ 成人 ⇒ 高齢者 と云うように、私達は幼から老への一方向に向かってライフ・ステージを駆け上がっていく。このように「過去→現在→未来」という一方向に決まっていて変えられない流れを『時間の矢』という。この矢は、SF映画や夢物語でない限り、老から幼へと流れをさかのぼることは出来ない。
この世の中には多くの現象があるが、それらは可逆現象と非可逆現象に分けられる。ある現象が起こって、その逆の現象が起こって元の状態に戻ることを可逆現象といい、決して元に戻らない現象を非可逆現象という。
もしも、この宇宙における現象が全て可逆現象だったら、私達は過去と未来の区別がつくだろうか?
過去と未来の状態に違いがなければならない。いま働き盛りの成人も、かっては赤ん坊であったし、やがて
老人になってゆくのである。
赤ん坊、成人、老人と云った違いがある、このことを認識することによって時間の流れを感じるのではなかろうか。このように過去と未来の区別が存在して、私たちは『時のながれ』を感じることが出来る。
ボールを床に転がす、速度はだんだん遅くなって、やがてはとまる。ボールの持っていた運動エネルギーが摩擦熱に変わって停止したのである、このように熱の移動を伴なう現象は、非可逆現象であり元に戻らない。
テレビ放送局から電波が各家庭に届く、このように電波も光も一定方向に広がって行く。
生物も社会も進化する、例えば社会は狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会というように未来に向け
よりシステムとして複雑な方向に変化してゆく。これらも、また非可逆現象であり元に戻らない。だからこそ時の流れを感じ、歴史を思うのであろう。そこには『時間の矢』が存在しているのである。
「過去→現在→未来」という『時間の矢』は、当たり前のようにあるものだと思っているが、それは全くの誤解だと科学者は指摘する。時間が流れるというのは実に不思議なことなのだと。
物質は、無数の原子や分子から出来ている。これら原子や分子の運動を見て、過去と未来を区別することが出来るのであろうか。
2つの原子が衝突するする場合、その運動をいくら注意深く観察しても過去と未来の区別がつかないことが知られている。すなわち原子や分子の世界では『時間の矢』が存在しないのである。
しかし、膨大な数の原子、分子の集まった物質(例えば人間)の運動や活動では、明らかに過去と未来の区別がある。その物質を構成する原子、分子には時間の矢が流れない。
では、どこで時間の矢が現れるのであろうか?

Recent Comments