『時の流れ』を思う -3-
(3)劫(こう)と刹那(せつな)
縁あって20歳過ぎ頃から禅に興味をもち、摂津高槻の少林寺に坐禅をしにいったこともあった。そのようなこともあって、たまには経典やその解説書を見ることもあった。その中に興味ある時間を測る単位があった、それは古代のインド人が考えた時間の単位 — 劫と刹那 — であった。
劫というのは、囲碁用語にもある。取ったり取られたりが永遠に続いてしまう形である、そのようなことを繰り返すと何時まで経っても未来永劫に勝負がつかなくなるので、一度別の所に打ってからしか取れないような囲碁規約がつくられている。
では古代のインド人が考えた『劫』という単位は、時間のどのような長さなのでしょうか?
岩石で出来たヒマラヤのような大きな山がある、そこへ100年に1回の割合で天から天女が舞い降りてくる、その都度天女が着ている絹の羽衣の裾が岩山に当たる、そのためほんの極く僅かであるが岩が削りとられてしまう。このようなことを限りなく繰り返し、その岩山がすべて削り取られてしまう。この間の時間が、劫というものの長さである。
絹の衣で岩が削り取られるのか? かりに削り取られるとしても100年に1回である。そのことで岩山が削り取られ無くなってしまうまでの時間というのは想像を絶するものがある。
古代インドのバラモン教では、宇宙は創造神である梵天によって作られたとされている。その梵天の一昼、つまり梵天が過ごす1日の半分の長さを劫と云っていた。そして、これを人間の年に換算すると43億2千万年に相当する。
一方、刹那とは極めて短い時間、瞬間で、最も短い時間の単位である。
指を1回パッチンと弾く(1弾指する)あいだに65刹那あるという説や、75分の1秒であると云う説などがある。
私たち人類は、時間の単位を昔から自然の中にある周期運動によって決めていた。例えば地球が自転して1周する時間を1日、地球が太陽の周りを1周する時間を1年としている。
私達が日常使う時間の最小の単位である秒は、どのようにして決めていたのであろうか?
近世までは、正午(太陽の南中する時刻)から翌日の正午まで(1日)の8万6400分の1を1秒と定義していた。このように太陽の位置観測で決めた1秒を『天文秒』と云う。(注、8万6400秒=24時間×60分/時間×60秒/分)。
この天文秒は、天体の運動によって決まるので誤差が無いように思われてきたが、残念ながらそうではなかった。それは24時間×60分/時間×60秒/分のうちの24時間が、必ずしも一定でないということが分かって来たからである。月や太陽の重力で潮の満ち引きが起きるが海水の運動と固体としての地球の動きにずれ(摩擦)が生じて、地球の自転にブレーキがかかり段々遅くなりつつあるということらしい。
地球の自転速度は5億年前は21時間、現在は24時間、そして10億年後は26時間になるとのことである。
ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見してから振り子やばねを利用した機械式時計が作られ時間を測っていたが、機械式であるゆえに精度に限界があった、1927年カナダのマリソンが水晶時計を発明し、
これによって計時の精度が一段と向上した。それでも1年間に0.1秒程度の誤差が生じている。
現在では、より精度の高い原子時計が作られている。これはセシウム原子の基底軌道にある電子が、スピンの向きを変えた時に出る電磁波が91億9263万1770回振動する時間を1秒としている。これを『原子秒』という。なお、この原子時計でも300年に1秒程度の誤差が出るといわれている。 (つづく)
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Comments
オハヨウゴザイマス
いつも投稿有り難うございます!
素晴らしい・・・ブログ・・
教養が・・宝物ですね・・ここヽ(〃^・^〃)ノ
私には能力がナイので・・ここで勉強を・・
これからもヨロシク
Posted by: けいこ | June 30, 2008 at 06:59 AM