猿になった日本人?

馬鹿な!猿と人間は共通の祖先を持つとは云え、いまさら人が猿になる筈がないではないか。では、なぜ猿になったと云うのか。 霊長類の研究者によれば、ニホンザルはその行動を観察するかぎり死を認識出来ないらしい。
一方,ネアンデルタール人が住んでいたと推定される洞窟に多くの花々を供えた墳墓があったこと、五十万年以上前の原人のものとされている宮城県の上高森遺跡からは、花弁状に並べられた石斧が出土したりすることから、考古学者はこの頃には人類は既に死を認識していたと見なしている。
しかし、現在の日本人は死を認識しているのだろうか。自分たちが死なねばならないと云うことを忘れ去っているのではないだろうか。
私達は、いったい、いつまで生き長らえるのであろうか。かって、ある先達は、
『老いの坂 のぼり登りて跡見れば
あとの遠うさや 先の近さや』(読みびと知らず)
と詠んでいる。
WTO(世界保健機構)は、加盟192カ国の平均寿命を毎年発表している。2002年の統計では、日本は男女計の81.9歳であり、世界1平均寿命が高い(男78.4歳、女85.3歳でいづれも世界一、また健康寿命も75.1歳で世界一)。
日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、第二次大戦後である。明治20年代は、男が43歳、女が44歳。昭和9年は男が44歳、女は47歳であった。 戦後10年の昭和30年には男が50.6歳、女が54.0歳とな
った。そして、昭和63年には、男75.5歳、女81.3歳となっている。
近世では、日本人の寿命はどうだったのか。ある研究者が飛騨地方の、ある村落のお寺の過去張から、1771年から約百年間にわたる平均寿命を算出したところ、男は28.7歳、女は28.6歳となっている。このように寿命が短かったのは幼児死亡率が高かったうえに、食糧事情や衛生状態が悪かったからなのであろうか。
“いのち”の長さを、文人を例にして見るならば、江戸前期の井原西鶴は51歳で、後期の松尾芭蕉は50歳で逝っている。
明治に入ると樋口一葉はわずか24歳で、石川啄木も26歳で逝っている。芥川竜之介は35歳(自殺)、夏目漱石は50歳で、そして森鴎外はやや長く60歳で亡くなっている。
このように、第二次大戦期までは日本人の平均寿命は50年にも達していなかった。 しかし、今や人生80年超の時代である。この延びた30年と云う期間はいったい何であるのか。特別に長生きした人達を除いては、私達の祖父母或いは両親達が経験したことのない時間である。いま、熟年者にとっては『あとの遠さや 先
もなお遠き』の状況である。
戦後、私達日本人は、戦勝国アメリカ、豊かな国アメリカに憬れて、民主化、封建制打破を叫び、一方産業面では更なる近代化を推し進め、アメリカと肩を並べる経済大国になった。そして、その結果工業化、都市化に伴なう農村の凋落、また家族制度の崩壊による核家族化、小子化が進展していった。
しかし、そこには近世において概ね50歳を過ぎると隠居し村落においてモメゴトを調停し、気象異常時等に若人たちの相談にのっていた、いわゆる老人たちの役目は喪失してしまっていた。
また、家庭にあっても孫(主として、長男夫婦の子供達)にお伽話などを語り聞かせ、立ち振る舞いなどの躾(しつけ)を行なっていた祖父祖母の役割も失せていた。
このような産業面、家庭面の変化に関連し、もう一つの変化を私達は見逃してはいないだろうか。
それは、“生命観”の変化ではないだろうか。かって年長者は、翁や媼(オキナやオウナ)として尊ばれ、年いかない子供達も大切にされ躾られていた。 今や、老人達は無力な者、醜悪なモノとしてと遠ざけられ
るつつあり、子供達の躾は家庭では放置され、教育ママと呼ばれる人からは“勉強せよ”“塾へ行け”と尻をたたかれ、そのくせ子供達の躾はすべて学校に委ねられている。 いまや私達が、知らず知らずのうちに身につけてしまったのは、かって狩猟民族であったアングロサクソンの “若さを賛美し老いを恥とする”生命観ないしは人間美の観念であろう。それは、集団の先頭に立って獣に挑む若者のイメージであり、太陽のもと汗でギラギラ輝く肉体であり、猛禽のような鋭い目である。また、女もホルスタインの雌牛のような豊頬な肉体がもてはやされる。
そこには、長幼に対する想いなどはなく、すべて性的能力に結びついた美的感覚が存在するだけである。まして、死を連想するようなモノは微塵も見られない。
かって、日本人は種をまき、花を咲かせ、その草花が秋の終りには虚しく枯れ果てていくことを毎年経験して来た。ヒヨコを飼い、成長したメンドリからは貴重な蛋白源である卵を毎日のように得ていた。卵を産まなくなったメンドリは絞め殺され、人たちの食卓に上る。枯れゆくもの、殺されるモノ、死んでいくモノを日常のなかで見聞きして来た。
人々にとって、生や死は身近なものであった。弟あるいは妹が、隣の部屋で産婆さんにに取り上げられ生まれ出る、オギャーという産声を好奇心と、なにか新しいものに出会える
と云う興味心で、聞き耳を立てて聴いていたものだった。 お年寄りが病になって床に伏す、家族が代わり変り面倒を見る。しかし、その看護も薬石も効なく、やがて息を引き取っていく。そこには、老いゆく姿、死を見つめる幼い孫達の姿があった。
このような状況は4、50年前のことであって、いまは医療技術や施設の発達したこともあって、出産も、老人の治療そして最後を看取ることも殆ど大部分が病院で行なわれている。
私達は、生の現場、死の現場から隔離されて久しい。たとえ、親族友人や会社関係の知り合いが亡くなっても、ただ葬儀という儀式に参加しているだけである。
このような生活環境の変化、モノの豊かさに向け経済大国になるまでにガムシャラに働いてきたこの数十年間、その間に先に述べたように生命観等の変化もあった。
そして死へ認識が薄れ、意識的にも死を忌避しようとし、その結果死を忘れ去っているのではないか。まさにニホンザルにまで落ち果てたのである。
水や空気のように、私達の命は使い放題なのであろうか。他人の死などをみて、死をわかったように思っているが、それは他人の死であり、まくまで人様の死である。
自分は遥かかなたの何十年先まで生きると思っているのであろう。このような思いは、生に対する傲慢さを産み、自分の生に対する配慮を欠き、生を浪費するように自らを追いやっている。ましてや他人に対する思いやりなどは出て来る筈はない。最近各地で起こっている無関係な人を殺傷する事件などは、生や死に無関心なコトの1つの結果ではなかろうか。
死を見つめるコトは、生を見つけることである。人生を見つめなおし、やり直す切っ掛けでもある。また幅広い生命観や多様な美的感覚を持つことに繋がるものであると思う。
明日、いや今宵逝くかも知れない この命、いやいや まだ果てしなく続くかも知れぬ生涯の長き道。
もしもその道が続くならば、爽やかに明るく自分なりの歩みで、進んでいきたいと思う。
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