「老いを思う」

“老い”とは、一体何であるのだろうか?
“おい”は、日本の伝統社会では、“生い”“老い”“追い”という3つの意味を持っていた と言われている。
一方、現在の中国語中辞典で『老(lao)』の意味を調べると、十数個の解釈があるが、おおまかに集約すると①“いつもの、もとからの”,②“年を取っている”、及び③“歴史、経験をが長い” と3つの意味がある。
生いは、もと(生まれたとき)からの状態であり、生きている いつもの状況である。
老いは、年を取っていることである。
追いは、『泥棒に追い銭』と云うように、追加するという意味であり、人間にとっては経験や智恵を追加し積み重ねていくと云うことである。
人生は、まさに“老い”への道であり、生きていることが“おい”そのものである。
老いは、一体いつ頃から始まるのであろうか?
それは、母親の胎内で卵子と精子が出会い受精卵になった時から始まる。受精卵と云う一個の細胞が、数え切れない程の細胞分裂を繰り返す中で、あるモノは神経細胞になり、またあるモノは血液細胞になると云うように役割が与えられ、やがて“赤ちゃん”と云う個体が生まれ出る。
私たち人間には約60兆の細胞があり、その細胞核には染色体がある。この染色体というのはDNA(遺伝子)が紐状により合わさって出来上がっている。また、そのDNAも二本の紐がねじれ合っている二重らせん構造をしている。つまり染色体と云うのはねじれた二本のDNAが、さらにねじりあがって造られている。
染色体の両端には、ねじれを留めて解けないようにしているテロメア(末端小粒ともいう)と云うモノがある。このテロメアは細胞が分裂する度に、だんだん短くなっていくことが観察されている。このテロメアが短くなっていく、即ちこれが老化である。20~30歳代の若者のテロメアは、60~70歳代の高齢者のテトロアに比べ1.5倍長くなっていることが分っている。
テロメアが、細胞の分裂するごとに短くなっていく体細胞によって造られている私たちの身体は、母親の胎内で卵子と精子がドッキングし受精卵が出来た瞬間から、老化し、いずれは死んでいくような仕組みが出来あがっているのである。 まさに“落葉帰根、必死帰土”である。
されど、“生命は不滅である!”
私たちの身体は、体細胞と生殖細胞によって出来ている。体細胞というのは、神経細胞や血液細胞で、現在を生きるために働いているものである。これに対し生殖細胞は,卵子と精子が受精することによって、明日の世代をつくるために働くものである。
この二種類のうち、“老い”という変化をとげるのは体細胞のグループのみである。さきに述べた短くなったテトロアを伸長するのはテロメラーゼという酵素であるが、これは生殖細胞を活性化するが体細胞には効き目がない。それゆえ人間という個体は死に到るわけである。
しかも、生殖細胞の方は,うまく受精すれば次の代の個体として生き延びていくことができる。体細胞には必ず死があり、生殖細胞はうまく次から次へと世代間をバトンタッチ出来れば、永遠に生き長らえることが出来るわけである。
ここまで書いてきてふっと思い出されるのが、中国に古くからある道教や儒教の死生感であり、“孝”の概念である。
両親から受け継いだ個体は『身体髪皮これを父母から授く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり』と大切に扱い、良き配偶者と出会い子を授かる。
そして、死ねば個体は魄(はく)として墓地に葬られ、魂(こん)は個体から抜け出て大地と天の間の空間をさ迷う。子や孫が墓前や祭壇で香を焚き祈りをささげる。すると魂と魄が合体してしばし生き返り懐かしい子や孫に出会えるという----。
孔子の孝の概念は、親から受け継いだ体を大切にし、子をもうけ子孫を絶やさない。そして代々生を受け継いだ祖先を大切に祭り、この世に呼び戻す。そうすることにより家族・親族を中心とする命の連続性を信じ確認することであろう。
また生命の連続性を信じ、それにもとづく祭事を行なうことによって、死の不安や恐怖を和らげ、克服するということにも繋がっているのである。
このような死生感は、上で述べた生殖細胞が不滅だと云うことと照し合わせて見て、大変興味深いものがある。



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